牧野窯

  • 先人

牧野将典・泉 夫妻

牧野窯
クリエイターになりたい(夫)

2001年に僕が先に東京から萩へ行き、陶芸・萩焼の世界に入りました。
僕は、長野県小諸市の出身です。日本画家の兄がいますが、幼少期は僕も絵を描くことが好きでした。
実家は民芸品店を営んでいたので、お店に並ぶ造形物を毎日見ていたことは、陶芸家になる影響が少なからずあったと思います。

大学進学は東京で、実は、芸術系の大学でも学部でもありませんでした。けれども、就職は、クリエイター職を望んでいました。
私が学生のときは就職氷河期。就職が決まらないなら、地方を巡って様々な伝統工芸を見て、気に入った工芸の職人になってみたかったのですが、それは気持ちのことだけにして、とりあえず、商社や銀行の採用試験を受けました。でも、それでは内定はもらえませんよね。悶々とする中、就職情報を見ていたら、テレビの技術会社でアシスタントカメラマンの募集がありました。書類を持っていくと採用をすんなりといただけました。

萩焼への道(夫)

その会社に5年ほど勤めました。その間、とくに萩焼などの焼き物との出会いがあったわけではありません。

もともとコーヒーが好きでカフェオレマグを探していた時に、デパートで陶芸家が作ったご飯茶碗を買ってそれをカップに使ったりするぐらいでした。
でも、仕事や人間関係までもが上手くいかない、会社を辞めてしまおうかと悩んでいたときに、ある朝目覚めたら「自分で焼き物をやればいいんだ」と思うようになりまして。それからは、トントンと早かったです。

会社を辞める前に休みをとって栃木県益子町へ行ったのですが、見学をした益子焼の作家が萩で修行をしていました。
事前に全国の焼き物を調べていて、萩はターゲットの一つだったのですが、益々、萩へ行きたくなりました。
そして、一週間ほどの萩行きを決めると、兄が知人を通して萩の窯元を紹介してくれて、そのご縁もあったりして、振り返れば15年以上、萩焼の窯元で修行しています。

今現在は、泉流山に週6日、他の時間で自分の登り窯で仕事をしています。

焼き物へのこだわり(夫)

萩焼の歴史は古く400年以上にもなります。
萩焼というと代々続く窯元が多いと思いますが、僕のような他県で窯元出身ではない場合も多いです。
伝統的な窯元でも新しいことを取り入れていたり、逆に萩焼を目指して外からやってきた窯元が昔ながらの萩焼を作陶したりもしています。僕も昔ながらのいわゆる萩焼らしい萩焼を作っていきたいと思っています。

その土地の素材、技法で作るからその土地の焼き物らしさが出ます。
他の土地のものを取り入れて新しいものを作ろうとすると結局は、似たり寄ったりで画一化されてしまって、焼き物の個性が出ないように思います。また、焼き物の下準備にも興味があります。昔からの窯元では、土や釉薬などを作る技術と設備、ノウハウを持っています。

僕も農家などからもらってきた雑木や藁を燃やして灰にして、それで釉薬を作ったり、解体現場から廃材をもらってきて窯焚き用の薪を作ったりします。他の下準備もとても労力がいり、危険を伴う場合もあったりします。

夫との再会がきっかけ(妻)

私たちの出会いは1996年、私もテレビの仕事をしていてその時に知り合いました。

夫が萩に行った後はしばらく音信不通だったのですが、ブログやFacebookで自分の近況を投稿していた夫が、私をFacebookで見つけ、インターネット上で再会しました。
実際に再会したのは、夫が萩へ移住して10年以上が経った頃です。私が横浜から萩へ遊びに行きました。それからお付き合いが始まり、2014年の暮れに入籍、結婚しました。

私は、親の仕事の関係でタイに生まれ、幼少期はオーストラリア、その後は東京や横浜暮らし。学生時代はヨーロッパやアメリカを旅したりしました。大学卒業後、出版社での編集職などを経て、フリーランスで某テレビキー局の海外ロケのコーディネートをしていましたが、退職後はペルーを半年ほど放浪し、その後、南米専門の旅行会社へ転職。そのせいか、新しい土地で暮らすことに何の抵抗もありません。
夫は萩にいないと萩焼ができません。私は仕事の不都合も東京を離れる不都合もありません。二人で暮らすのなら私が萩に行くのが自然のなりゆきでした。それに萩は景色もいいし、四季もいいし、食べ物も美味しいし、むしろ、ラッキーなことかもしれないと思ったわけです。

現在は市内のカフェで働いています。休みの日や仕事帰りには夫の窯へ行き、手伝ったり雑務をしたりしています。
また、夫の焼き物のプロモーションもしていきたいと思っています。萩に来るまでは萩焼のことは全く知らなかったのですが、今はとても面白いと感じていて、逆に知らなかったことが強みになるかなと思っています。
販売の方法も今はWebもあって色々ですが、中にはやっぱり焼き物は手に取ってみたいという人もいます。どちらもできるようにしていきたいです。

季節のときに季節のものを(妻)

萩は食材がいいので、焼いたり、蒸したりするだけでも十分美味しいです。
お酒が大好きなのでおつまみをよく作ります。すっかり萩贔屓になって、日本酒と焼酎は萩のものしか吞みません。

野菜や魚はご近所の方々によくおすそ分けしてもらっています。家庭菜園をされている方も多く、キュウリはこちらに来て買った記憶がありませんし、キュウリやトマトは旬のときだけで一年中は食べなくなったかもしれませんね。

お魚は、初めて見るものもあって「COOKPAD」を見たりして料理します。それでもわからない場合は、とりあえずさばいて刺身でいただきます。鮮度のいいお魚は美味しくて大好きです。でも、何でも新鮮なうちにいただくのが一番美味しいとは限らず、鯛やスズキは一日置いた方が実は美味しい。スズキは一日目もコリコリして美味しいですが、二日目はまったりしていてさらに美味しい。こういうことは萩に来て知りました。
でも、東京では当たり前にスーパーで陳列されていたハーブ類が売られていなかったり、飲食店や郵便局の本局が東京に比べると早くに閉まってしまったり、必要な時に洋服屋もなくて、当初は、戸惑いもありました。
歳を重ねて、それなりに人づきあいができるようになってから萩に来てよかったと思っています。東京だったらこんなにも近所の人を知りません。職場の人は知っていても隣に住んでいる人のことは知らない。でも、萩ではお互いのことをよく知っていて濃度が違います。

夢中になることがあるから(夫)

僕は、萩焼という目的があってここに来ています。夢中になることがあれば、どこででもやっていけます。
萩は住環境もいいし、都会的な欲がなくなれば十分、楽しいです。
僕はロックミュージックが好きで、欲しいものはCDくらいなのですが、今は「Amazon」もあって、注文から中一日はかかっても、萩に来た頃に比べたら大分、不便は解消されたと思います。

暮らす土地に、景色や食べ物など好きになるポイントがあるといいのかもしれません。好きなものがあれば、それがあるだけで満足でしょう。友達ができるのもいいですが、僕は妻が来るまでは萩に友達が一人、二人くらいしかいませんでした。

妻の存在は心強いです。僕一人だったら空回りしてしまう部分がいっぱいあったと思いますが、色々、助けてもらっています。


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