理容師 理髪店「RANKER」

  • 先人
  • 起業

代表 大谷 裕介さん

会社名
理髪店「RANKER」
店主の一言

 実は僕、映画「インディー・ジョーンズ」を見ていた影響もあって、トレジャーハンターになりたかったんです。萩市の隣、長門市の出身ですが、地元の高校の商業科に通っていた時、先生たちにその話をしたら首を傾げられてしまいまして。商業科なので卒業したら働くしかない、夢を見ている場合ではないというムードの中、僕はそれに染まりたくなかった。でも、やりたいことを貫きたいと考えていても何も決まっていませんでした。

散髪をしに地元の理髪店に行ったある時のこと。そこの店主が「何も決まっていないのなら、理容師になったらどうか。大谷君なら好きそうだし」と言われて、その瞬間「それや!」とピンときました。僕はずっと理髪店は世襲制だと思っていたのですが、専門学校に行けば資格が取れると知って3年の通信制に進みました。通信制は、現場で働きながら年に数回、学校に行って授業を受けます。給料がもらえますから自分で学費を払えるところがよかったのですが、でも、すぐにやめました。おもしろくなかったから。

 辞めると同時に実家を離れ、山口県東部で友人の家から家へと移り住んでいました。夜になると何をしたらいいのだろう、いや、何かをせんにゃあ、いけんと物思いにふけていました。自分の存在を人に知ってほしいという思いもあり、コンビニなどで働き始めました。でも、よく店長に怒られました。ガラの悪い客に「ありがとうございました」と言いたくなくて。

理容以外の世界

 一年半くらいそんなフリーターの生活をしていましたが、どれも現実的ではなくて、また、学校を辞めてしまったというのも悔しくて、今度は下関の理美容専門学校に入り直しました。二十歳の時です。5年ほど下関で場数を踏み、次はもっと大きな都会でやってみたいと思って、福岡県小倉の美容院で働きました。理容店だと男性客ばかりです。同じ髪を切る仕事なのに男性だけでは飽き足らず、女性のカットも覚えたかったのです。ロングもショートもオールラウンドに。でも、腕よりも口が達者な美容師がカリスマと呼ばれていたり、必要のないメニューをお客さんに勧めていたりということが僕には我慢がならず辞めました。

 それから山口県に戻り、知人の紹介もあって宇部で船大工を始めました。ニッカポッカを履いて、FRP漁船を木や型で造っていました。肉体労働者は、滅茶苦茶重たい木を担いだり、土嚢を運んだり、炎天下の中で汗だくになって働いています。その大変さを知っている人は少ないと思います。僕は、肉体労働者の気持ちが知りたくて、また、肉体労働による「ものづくり」がどういうものなのか自分でやってみたかった。最初、現場では、もやしっ子と呼ばれ、三日で辞めると言われていました。でも、負けず嫌いなのでやってやろうとがんばりましたね。棟梁とは今でも親交があります。一つのことを貫くとういのは良いことですが、他のことをやってみるのも良いことです。僕は様々な経験があったからこそ、色々な人や職業の話を聞いてもよくわかります。うわべだけではないですよ。

30分のカットも10分のカットも同じ作品

 船大工の仕事は一区切りをつけ、実家の長門市に戻りました。3年のブランクはありましたが、美容院で一から働くか悩みました。そんな時、萩市にある「3Q CUT」を見つけまして、すぐに切らせてもらいました。10分1,000円カット、とも言われるチェーン店で、クオリティが低いと誤解されますが、実際に働いてみると1,000円で髪を切るというのは逆にクオリティが高いと気がつきました。早く切らなければいけないので、ハサミの動かし方がとても勉強になりました。時間をかけてゆっくり髪型を作るのも一つですが、無駄をなくして早くカットができれば、お客さんに時間を提供することができます。美容院や他の理髪店ではできないことはほぼ経験できました。指名制はないので、こちらもお客さんを選べません。また、男性客だと思っていたら次は女性客、そのまた次は男性客と、ハサミや櫛も男女で使い分けていますし、髪のすき方などの用いる技術も男女では異なります。次から次へとお客さんがいらっしゃるので頭の中でパッパと切り替えないと対応できません。一日で切った最高人数は55人。一店舗でもこれほどのお客様は、大概のお店では受けられません。こちらには3年勤めましたがその時点で一万人以上はカットしました。だから、自分の腕に自信があります。

どこにいようと本人次第

 この頃から、自分でお店を立ち上げることを考え始めていました。正直、はじめは、萩に出店するつもりはなかったです。人口が減少しているまちで起業をして、お客さんがドッカンドッカン来るイメージがまったく湧かなくて。でも、萩にだって髪を切りたい人はいる。僕自身、友達もできたし、お世話になった人もいて恩がある。都市部に出店することもできたけれど、それは自分のエゴのような気がしました。僕の考え方を上手く説明することはできませんが、東京や大阪、博多でなければできないこと、萩ではできないことが確かにあると思います。でも当初、思い描いていたお店の考え方を変えて、萩でもどこでも通用するやり方にすればいいのではないかとシフトチェンジしていきました。ここでできないことは、他でもできない、ただ、それだけ。だから、僕は萩に残り、起業することを決めました。また、技術的にも東京のスタイリストと比べても地方のスタイリストは遜色ありません。都会から最先端の技術を持ち込んで萩でやっているということではなく、その逆でありたい。

理美容業界に一石を投じ続ける

 2015年1月26日に自分のお店がオープンしました。元は薬局だった建物で資金がなかったので、自分で床などを塗装したりしました。レコードやマンガなどもおいて理髪店というよりは「男の秘密基地」の設えです。そして、店名は「RANKER(ランカー)」。トップランカー、世界ランカーのランカーです。本当は、ランカーだけでは一語にならないそうで、順位の上位者に前述のように用いるようですね。常々考えていたのは、僕一人では何もできない。お客さんが来てはじめて自分が活かされると思っています。だから、店名も来店客と理容師の僕とが一つになり、そこに良質なものが生まれるようにという意味をこめています。価格設定は悩みました。毎月、散髪に行こうと思ったら行きやすい値段はどのくらいなのだろうと。萩市住民の所得を考えたときに3000円は切りたい。シャンプーとブローも込みで2,800円に決めました。さきほど、シフトチェンジをしたとお話ししましたが、もしあの時、考え方を変えていなかったら全部込みで4,000円強にしていました。自分の技術の適正価格と萩という条件を鑑みた設定で、この料金では安いと感じられる技術提供はしていると自負しています。また、定休日は理髪店なので通常は月曜日ですが当店は木曜日。組合に加入していないからです。だから料金や営業時間の設定も自身でできました。当初は、組合に入ろうと相談をしたのですが、僕の経営方針を理解くださって…。お客さん最優先で考えていきたいです。「古き良きもの」を否定するのではなく、それを受け入れながらも、今やこれからにとって良い方向に変えていきたいです。


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