恵里杏(めぐりあん) 

  • 先人
  • 起業

代表 水津真澄さん

会社名
恵里杏(めぐりあん)
医食農同源

 主人の実家が萩で、2004年に埼玉県から萩へ移住しました。4児の母なのですが、一番下の子供が小学校に入学してから「食」を仕事に起業しようと考え始めました。結婚前は都内で営業職に就き「食」とは無縁の仕事でした。ただ、私の曾祖母が地域の食医の役割をしていたそうで、母も食べるものは薬になるくらい重要とよく話しており、代々「食」に「医」の視点を持つ家に育ちました。また、子供の頃から料理が好きで、中学生の時には、知人の自然農法を体験し、自然の持つ力を活かす農業に興味を持ちました。「アルプスの少女ハイジ」が干し草のベッドに寝ているのにずっと憧れていたり、農家にお嫁に行くテレビ番組に真剣に応募してみようかと考えたりしていたので、結婚の挨拶で初めて萩に来たときは、広がる田畑の風景に嬉しくなって、後々、萩で暮らすことになったときも「やったぁ」という気持ちでした。

萩移住の理由

 でも、萩の移住は自分の夢を実現するというよりは、親としての決断でした。2000年に結婚をし、出産をしました。第一子の長男が生後3か月のある時、粉ミルクを飲ませたら、どんどん力がなくなっていって呼吸が止まりかけたのです。ショックでそのまま死んでしまうかもしれないアナフィラキシー反応の症状でした。よくよく調べてみると、長男に多くの動物性食品アレルギーがあることがわかり、その除去をしなければならない食品を知る必要が出てきました。その時にマクロビオティックを学び始め、これが「食」へのきっかけとなりました。除去を正確に行ったので多少は長男もよくなったのですが、かゆみだけは止まりません。4歳ごろまでは2時間おきにかゆくなって起きてしまう。まるで新生児の授乳の頃のようで、私は4年間ずっと長男の背中を寝ずにさする日々でした。当時住んでいた埼玉県の家の周りには、工場が多く、おそらく、その粉塵などの影響だったと思います。少しでも楽にしてあげたいという一心で、主人が勤めている会社には萩にも拠点があったので、主人はそれまでのキャリアはすべて捨ててもいいから萩に戻りたいと上司に相談をしました。幸い、会社側も理解をしてくださり、長男が4歳の時に家族で萩へ移り住みました。それから一か月して、かゆみもおさまりだし、連続6時間も睡眠がとれるようになり、膿でドロドロ、ガサガサだった肌もだんだん良くなってきました。でも、完治したわけではないので10歳までは除去食を行っていました。当時、一番気にかけていたことはポストハーベストです。国産だから100%安心とは言い難いですが、少なくとも国産は輸入時の薬の散布はないので、なるべく国産を買うようにしていました。その点、萩は山の幸、海の幸もあって、いずれも新鮮です。また、萩焼という萩で作られる器もあって、料理をする上では宝物のような場所にも思えます。

自然に近い環境で

 萩に移住した始めの6年間は、主人の実家で主人の両親、私たち夫婦と子供4人で暮らしました。主人の両親ともに半農半Xで働きに出ていたので、8人分の食事を作ったり、実家の田畑仕事を手伝ったりして、末っ子が3歳くらいになったときにパートをするようになりました。私は畑の一区画を自分用にしてもらい、ハーブを作ったり、無農薬野菜にチャレンジしたりしました。しかし、父が良かれと思って、知らぬ間に農薬をまいてしまって。おそらく最初からいいものを作らせて、収穫の達成感や喜びを味合わせてやりたいと考えたのだと思います。私は、失敗してもいいので無農薬で野菜を作ってみて、その失敗から学び、どうしたら可能な限りの無農薬野菜が作れるのか、様々なことをやってみたかったのです。子供たちに無農薬野菜を食べさせたいという母としての挑戦もありましたし、自分自身がたくさんの本を読んで勉強をして、やっぱり農薬は体に悪いと痛感しました。

 また、自然に近くしたほうが、野菜も栄養価が高いと言われています。例えば、ファイトケミカルも人間の健康維持・改善に役立つのではないかと研究されていますが、そもそもそれは、野菜自身が自分を守るために出すものです。でも、そこに農薬を巻いてしまうと、害虫などの心配がなくなって生命力が弱まります。生命力がある野菜の方が食べて人間のパワーになっていくと考える私は、そんな野菜を作ってみたいと思いました。今後、災害などがおきて人間が農薬に頼らず、自然の中で暮らしていかなければならなくなることがあるかもしれません。そうしたときに、自然の環境で育むことができる種を残すことはとても大切なことなのではないか?と考えています。

「食」を仕事に

 いつかは、料理などの「食」で講師業をしたいとぼんやりと描いていました。自宅がある地区のコープ委員会に所属しているのですが、そこは料理に興味のある方々の集まりで、マクロビオティックや薬膳の考え方を伝えたり、その手法を使ったレシピを提案したりしていました。また、あちらこちらから持ち寄りパーティのお誘いがあって、そこで、料理を教えてほしいとよく言われていました。でも、もし、料理教室等を開いて参加者からお金をいただくようになったら、料理のことはもちろん、ビジネスのきちんとした知識が必要不可欠と思い、山口県の女性向け創業セミナーに通うようにしました。正直、はじめのうちはのんびりと受講していたのですが、だんだん本気にさせられるプログラムで、また、講師や他の受講生たちに強く勧められたリ、励まされたりして、修了後、料理の講師業をスタートさせることができました。萩市主催の生涯学習講座で料理教室のコースや小学校の親子料理教室、食育関連の講師を行ったり、イベントに出張講師で呼ばれたり、その他、ラジオ出演や寄稿もしています。資格もセミナーに通う前にマクロビオティックの初級・中級を所持していましたが、雑穀マイスター、薬膳インストラクター、醸しニストも取得しました。

食はコミュニケーション

現代は、あまりにも西洋的で、偏った知識が蔓延しています。私は、基本は、日本人がこれまで暮らし営んできたことができるように、原点を見つめなおすことを提案していきたいと考えています。また、食材等の選別力を身につけてほしいという思いもあります。危険がはらんでいるにもかかわらず、簡単に口にする人が多いです。知った上であればかまいませんが、無自覚で口にしてしまうというのが一番の悲劇です。とくに未来を担う子供になればなるほど。食材等の選別も大切ですが、食育として子どもたちには、何よりも命をいただくということを知ってほしいです。自分の子供たちは小さい魚はさばけるのですが、さばくと血はでるし、体のしくみを学べます。命であるということを認識してもらいたい。料理教室でも、保護者の方には極力、手助けをしないように、子どもの主張は聞いてあげるようにお願いをしています。料理自体には、すべての教科が含まれていると思っているからです。計量する、計算する、段取りを考える、レシピを読み解くなど、すべての学びに繋がっているので、低学年の子供たちでも作れる内容に仕立てて、食育が理解できるように努めています。私は、食べることは哲学に通じていると思っています。そんなメッセージを込めながら、食の知識を聞く人の腑に落ちるような、印象的にお伝えできるような「食」の先生になっていきたいです。


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