株式会社 井上商店

  • 先人

本社統括チーフ 柳井 正司さん

会社名
株式会社 井上商店
出身地
山口県萩市
商いの場は日本全国、そして世界へ

当社の歴史は、明治4年、広島県尾道市から始まります。その後、明治44年に山口県萩市新川へ移転し、ちりめんやイリコなど、雑穀海産物問屋として発展していきます。
主に山口県の日本海側の海産物の集荷買い付けを行い、京阪神・北海道方面を販路としていました。

現在の本社は、萩城下の港町として栄えた浜崎地区にあります。そして県内外に、支店と直営店を構えており、東京・大阪・福岡に営業所があります。自社による展開を県内はもちろんのこと、北は北海道から南は沖縄まで行っています。
このように萩のみならず、日本全国で営業活動を行うことは、当社のモットーであり、最近では海外にも活動領域を広げています。

外からの風を

世界遺産「松下村塾」で有名な吉田松陰先生にみられる「幅広い動き」と「様々なものを見聞きすること」に学び、積極的に外からの風を取り入れようとする社風があります。
また、たくさんいる若い職員ものびのびと仕事ができる環境にあると思います。また、考案したことは実行してみるべきとチャレンジをさせてくれます。
人材に関して当社は選り好みをいたしませんが、強いて言うならば、消費者や取引先企業、社員同士など「対人」の仕事になるので、挨拶ができるのかどうかなど、基本的な礼儀を重視しています。

社内は大きく営業部門と製造部門に分かれますが、両部門に共通することは、物事を前向きに捉えて推進していける方が理想的です。また、製造と卸担当といった部門間の横断的な調整が必要になるケースがあるのですが、その場合、周囲に対して気配りをしながら、自分の意見と現状をしっかりと伝えられるコミュニケーション能力が求められます。

「萩が好き」という原点

私の生まれは萩で、3歳から高校卒業まで山口市で過ごしました。
大学進学は東京だったのですが、その時に司馬遼太郎の「世に棲む日々」に触れ、あらためて萩の魅力を感じました。また「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの作品等にも影響を受け、青春18きっぷで全国を旅しながら帰省をしたことは良い思い出です。
坂本竜馬のほか、とくに高杉晋作は好きで、破天荒であり、見たこともない異人を目の前にしても臆せず交渉をしたり、少数でも決起する精神性であったり、これらは、自分にはないものだったので尊敬をしています。

大学卒業後は、萩にUターンをして萩市農業協同組合(現・JAあぶらんど萩)に就職しました。進学までは、東京にとても憧れがありましたが、暮らしてみるとその憧れが薄らいでいきました。
萩で何をしたい、こんな仕事に就きたいということよりは、萩に暮らしたい、所帯をもったときには萩にいたい、ということを思い描いていました。
3年弱ほど勤めましたが、主に金融保険関係の外交をしていました。
毎日、スクーターに乗って企業や個人に営業です。新規開拓も積極的に取組みました。その時はまだ取引のなかった井上商店にお役にたてないかと足繁く通いました。
次第に、社長の井上とお話をする時間を作ってもらえるようになりました。
ある時、社長の井上から「ウチで働いてみないか」と声をかけられ、未知の異業種でとても悩みましたが、思い切って飛び込んでみることにしました。
僕の原点は「萩が好き」ということです。だから、どこの企業や団体に所属していようと萩の中にいることには変わりはないので、仕事や生活を通して萩のみなさんのお役に立ちたい、その結果、何らかの好影響をもたらせることができたら…と考えました。

今でもJAの役職員方々には良くしていただいています。以前、東京の高級ホテルで山口の食材を使ったフェアを3ヶ月間企画した際に、萩の野菜に関しても全面的な支援をいただき、萩の農産物も販売・PRをすることができました。他の業種の方々にも多くのご協力をいただき、今でも感謝をしております。

地方で働くことの楽しさ

入社から3か月間は、積送事務に就きました。これは、県外向けに商品を出荷するセクションで、商品内容や流れを学びました。その後、大阪の営業所開設や福岡営業所にて九州の新規市場開拓などを行ってきました。
萩の本社に戻ってからは、「剣先いかの白造り」「だし茶漬」などの商品開発や百貨店のギフトの取組みを積極的に行いました。

近年においては海外へ向けた商品の展開、公的支援に関して官公庁と折衝するなど、新しい仕事がどんどん増えています。

私は、社内を横断した総合的な働きをしていますが、当社のすべてが見られるポジションです。そのおかげもあり、地方の中小企業のおもしろさをより感じます。意思決定後のスピードの早さや小回りがきくこと。また、全体を見渡せることができること。
大企業だったら「第一営業部」のように部分的にしか会社のことがわからないのではないかと思います。そして、社内は家族的な雰囲気もあり、比較的ワークバランスがとれ、健康的な生活が送れます。

美味しさに妥協なし

当社が商品の企画・製造を始めたのは昭和55年からです。ソフトふりかけ「しそわかめ」発売がきっかけでした。
今でも、当社で一番のヒット商品で、私も商品開発を経験してきましたが、なかなか「しそわかめ」を追い越すことはできません。
実は「しそわかめ」は山陰地方の、とくに萩の食文化。刻まれたわかめで、ご飯にふりかけて食べます。この食文化を商品化に至ったのは、萩にいたからこそのこと。だから、社長をはじめ当社は「萩に感謝したい」という思いがあります。
また、最初に「雑炊スープ」を作った時、「ご家庭で味わえる料亭の味」をコンセプトにしました。それは、料亭の料理長経験者に入ってもらい、工場で味を監修したことにあります。

今もこの体制を維持しており、ロングセラーとなったこの商品も幅広い方に手にとっていただいております。
当社が目指していることは、「食べて美味しく」「食べて感動」、そして、子供から大人までが味わっていただけること。美味しさに妥協はありません。

ペイ・フォワード

近年は、総合商社のような動きもでてきて、「山の幸」など海産物以外のお話を各方面からいただきます。
山口県産の野菜を使用し、一部の商品で取り扱ったりしています。取扱商品は「海産物」という固定概念があったのですが、「食」というトータルで考えていかなければと感じています。
おかげさまで、今や生産が間に合わないほどの注文がはいってきます。こうした課題に応えるためには、雇用の必要が出てきて、そうすれば、地元の貢献に繋がる。そんな流れを期待しています。

「ペイ・フォワード」という映画がありますが、ペイ・フォワードとは、ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切で繋いでいくこと。そして映画は、社会全体が良くなっていくというストーリー。
私も仕事や生活を通じて多くの方々へペイ・フォワードをと、お役に立てればと思っています。


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