有限会社岡崎酒造場、俥宿(人力車)

  • 先人

営業・造り、車夫 尾崎三次さん

会社名
有限会社岡崎酒造場、俥宿(人力車)
体を動かすのが得意

 僕は、生まれも育ちも萩市で、水景が美しい阿武川が流れる川上というエリアの出身です。川上には、岡崎酒造場という酒蔵が大正時代からあって、この酒蔵を見て育っていますが、小さい頃はまさか、ここで働くとは思いませんでした。
 体を動かすのが好きで、剣道は小さい頃からずっと続けていて、また、田舎の学校で子供の数も少ないので陸上大会やら何やらと色々、駆り出されました。高校生の時は、球技をやりたくてバレーボール部に所属しました。授業はもちろん体育が好きで、大学進学を選択したときには体育教員になることを考えました。

 受験をして、愛知県の中京大学健康教育学部に進学しました。体を動かすだけではなく、理論も学べるところがよかったです。元ハンマー投げ選手の室伏広治さんと同級生で一緒にトレーニングもしたんですよ。体育会はアメリカンフットボール部に入部。こちらではできないスポーツでしたし、ごつい体になりたくて。当時は、東海リーグでは一位。3年生からレギュラーで、ポジションはディフェンスバック。守りなので地味ではありましたが、コーチは適性とみたようで自分でもディフェンスは面白かったです。これ以上は行かせない!とタックルをして止めるのが気持ちよかったですし、インターセプトをして、また攻撃に戻るのが快感でした。しかし、ある時、味方のタックルが入ってしまってじん帯を切ってしまいました。いくら防具をしていても頭と頭で思いっきりぶつかるので危険でしょう。今やれと言われたらできないです。
 大学時代は寮生活でしたが、ご飯は作っていました。部屋に来た仲間には炒め物などをよく食べさせて、彼らは、ものすごい量を平らげるので気持ちがよかったです。天ぷらなんかも揚げて、天ぷらパーティなどのパーティを当時からよく企画してやっていました。高校生から家にあるものを焼いたり煮たりと料理をするのが好きで、通っていた高校でも焼肉王とあだ名がついていたほどです。よく、あちらこちらのバーベキューによばれました。

調理師免許もそば打ちも

 大学卒業後は、こちらに帰ってきたかったので山口県の教員採用試験に挑戦しました。当時は私立も採用がなかった時代で合格するのは難しかったです。挑戦していた卒業後の2年間は愛知県に残って、知人の紹介で入った寿司屋で働き、握れるほどになっていました。でも、進路変更をしようと萩に戻ることにしました。
 萩に戻ってからは、建設業のアルバイトをしたのち、昔からの知り合いの内科医の病院で医療事務を5年ほどしていました。しかし、患者とお話をするのは楽しかったけれど、事務仕事が苦手でして。ずっと飲食業のことは念頭にあって、やっぱり、体を動かしながら、お客さんに接することをしたいと考えるようになりました。そうすると偶然、高校生の時にアルバイトをしていたファストフードの当時の店長と再会しました。再会時の店長は、今や萩の人気店となった「MARU」という居酒屋を立ち上げていて、そこで働かないかと誘ってくれました。私は、調理も接客も何でもできましたし、店長もやらせたかったと思います。MARUでは15年働き、はじめの3年ほどは医療事務との二足の草鞋を履いていました。その後、学校には通わずに、調理従事者資格で推薦状をもらい試験を受け、調理師免許を取得しました。また、そばが好きで、打ち方は長野県八ヶ岳まで習いにいきました。20代後半の頃です。師事した方は、技術論よりも精神論。失敗をしてもいいからまずはやってみて、とにかく数を打てと教え込まれました。そばは、繋ぎ方や加減が難しい。MARUでお客さんに出してみたらと言われても自分が納得して出せるようになるまでは10年かかりました。
 おつゆも自分で作ります。萩など西日本は醤油が甘く、そしてそば自体も甘い。甘いつゆをつけると味が4倍にぼやけ、後の旨みがわからなくなってしまいます。おいしいお酒もそうで、後から味がぼやけてきません。だから、おつゆもオリジナルの工夫をして美味しくお召し上がりいただけるようにしていました。おかげさまで、わざわざ遠方から食べにいらっしゃるお客さんもいらっしゃいました。

お酒と料理の相性がわかる

 現在の岡崎酒造場へは、新社長からの誘いもありましたが、家族からの要望もあり日中の仕事に転職しました。もともと、12月から4月までの酒の仕込みの時に手伝いでお世話になっていたのですが、住まいが酒蔵の近くということもあり、仕込みの時期は麹の心配をして泊りがけになるので丁度よかったのもあります。

 僕は社長とともに営業を担当していて、仕込みの時は造りに集中します。毎年4月に新酒が出来上がりますが、そのときにお披露目イベントをしたり、また、他の季節には工場で詰め作業があったりと酒蔵の仕事は年中あります。酒の会などのイベントは仕込みの時期以外によく開催します。僕は、このお酒にはこの料理とわかるので、たとえば、協力者の手を借りてフレンチの酒の会を開いたことがあります。色んな方に、とくに若い方にお酒を吞んでみてほしい。吞む機会を多く提供できたらと考えています。

 近頃は、若い人がお酒を飲まなくなってきました。高価でも良質なものを少しだけ呑むという傾向もあります。普通酒や晩酌という需要はこれからどんどん下がっていくと思います。弊社は幸いバランスよく「長門峡」などの普通酒から特定名酒(吟醸酒・大吟醸酒以上)まで造っており、ニーズにあった酒造りを行っています。これからは、日本酒の世界も10年、20年先を見据えて舵取りを変えていかなければならないでしょう。また、僕らの営業がまだまだ足りないのかもしれませんが、萩市内の旅館業、飲食業のみなさんにもせっかく観光客の方がいらっしゃっているので特定名酒を、おいしいお酒をおいていただきたいと思っています。

自分で何でも作って楽しい萩暮らし

 30歳から城下町にある人力車「俥宿」の車夫を休みの日にやっています。自分の結婚式の時にこちらの人力車を利用したのがきっかけです。お客さんとおしゃべりをしながら車を引くのでとても楽しく、この仕事は直接的な観光接客業と思っています。また、人力車を引いた翌日は、スッキリしているので今は酒造りの仕事がはかどっています。それぞれにそれぞれの仕事のヒントが隠れていたり、人力車のお客さんにお酒のセールスもできたり、兼業やかけもちは慣れてしまえば、むしろ楽しみでメリットがあります。こうやって田舎で生きていくのには兼業をして、最低限の生活を送ることができる仕事は必ずあります。そして、何年か住んで萩での生活に慣れていって、地域の方に打ち解けていろんな方と繋がりができたときに、ここで働いてみないかと言われる偶然などもきっとあるはずです。

 お金持ちになりたいのであればここでの生活は違うかもしれませんが、都会にいると全部、お金を出して買わないといけないけれど、萩だと自分で何でも作れます。畑や大工仕事をしたり、鑑札を毎年、更新して阿武川でカニを獲ったり。以前、お気に入りのミニクーパーに乗っていたら猪とぶつかり、修理代に40万円もかかって気持ちが凹みもしましたが、それでも萩暮らしは楽しいです。


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